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人間の精神の構築物は、それがわれわれの思考の深奥部に限定されているものであれ、あるいは規律、イデオロギー、制度などの形態で外部の世界に表現されたものであれ、すべてなんらかの意味で不完全である。
その欠陥は内部の矛盾、あるいは外部世界との矛盾、あるいはわれわれの考えが役立つことになっていた目的との矛盾などの形で顕在化するだろう。
もちろん、この命題は、われわれの構築物のすべてが間違っているかもしれないとの認識よりもずっと強い。
私は単なる不一致についてではなく、人間の構築物のすべてにみられる実際の欠陥、結果と予想の間の実際の元離について述べているのである。
先に説明したように、こうした飛離が真に問題になるのは歴史的事件においてだけである。
急進的な誤謬性解釈が歴史理論の基礎になりうるのはこのためである。
人間のすべての構築物は欠陥をもっているとの主張は、きわめて陰諺で悲観的に響くだろう。
だがそれは絶望すべきことではない。
誤謬性がマイナスの響きをもつのは、われわれが間違った期待を抱くからである。
われわれは完壁さ、永遠性、究極の真理などを切望し、おまけに不滅までも求める。
このような基準から判断すれば、人間の状態は不満足なものにならざるをえない。
事実、完壁や不滅はわれわれには到達できないものであり、永遠は死においてしか見いだすことができない。
しかし人生は、われわれの理解が不完全であるがゆえにそれを改善し、さらには世界をも改善する機会をわれわれに与えるのである。
すべての構築物が不完全な時には、それぞれの違いが非常に重要になる。
一部の構築物は他のものよりも良い。
完壁さには到達できなくても、本来的に不完全なものは無限の改善が可能である。
整理するためにいえば、人間と社会の構築物はすべて不完全だとする私の主張には、科学的な仮説たる資格はない。
それを適切な形で検証することができないからである。
私は参加者の見解がつねに現実から元離すると主張することはできるが、それを証明することはできない。
なぜならば、われわれの見解が存在しない場合に現実がどのようなものになるか、われわれは知ることができないからである。
事件が予想との元離を示すのを待つことはできる。
しかし、すでに明らかにしたように、結果として起こる事件は、なにが正確な予想であったかを判定する独立した基準にはならない。
なぜならば、異なった予想は事件に異なった進展をもたらしたかもしれないからである。
同様に、私は人間の構築物がすべて欠陥をもっと主張することはできるが、その欠陥がなんであるかを示すことはできない。
欠陥は将来のいずれかの時期に顕在化するのが普通である。
しかしこれはその構築物の形成された時点においてそれが存在していたという証拠にはならない。
支配的な思想や制度的取り決めの短所は時間の経過によって初めて明らかになる。
そして相互作用性の概念は、人間の構築物はすべて「潜在的」な欠陥をもつという主張だけを正当化する。
論理的証拠や科学的資格もなしに、私の命題を作業仮説として提示するのはこのためである。
私がこれを作業仮説と呼ぶのは、私の金融活動においても、慈善事業や国際問題とのかかわり合いにおいても、それがうまく機能したからである。
それはあらゆる状況において欠陥を見付け、それを見付けた場合には、この洞察から利益を引き出すよう私を促した。
主観的な水準では、私はみずからの解釈がゆがまざるをえないことを認識していた。
このことは私がひとつの観点を形成するのを妨げなかった。
むしろ逆に、私は自分の解釈が一般に通用している常識とは異なるような状況を探し求めた。
だが私はつねに自分の誤りを警戒し、それを発見すると、迅速に把握した。
金融取引においては、誤りの発見は私の当初の不完全な洞察から少しでも利益を引き出す機会、あるいはその洞察が一時的な利益さえももたらさなかった場合には、自分の損害を少なくする機会をもたらすことがしばしばだった。
ほとんどの人々は自分たちが間違っていることを認めたがらない。
私の場合は、間違いの発見は前向きの喜びを与えてくれた。
私はそれが金銭的な失敗から私を救ってくれることを知っていたからである。
客観的な水準では、私は自分の投資した会社や産業が欠点をもたざるをえないことを認識しており、その欠点がなにかを知るほうがよいと思っていた。
このことは私の投資を妨げなかった。
むしろ私は潜在的な危険地点を知ったほうがずっと安心していられた。
なにを合図に自分の投資を売ればよいかをそれが教えてくれたからである。
いかなる投資も有利な利益を永遠に約束することはない。
たとえ市場で優位にあり、優秀な経営陣、例外的な利益マージンをもつ会社でも、株価が過大評価され、経営陣が自己満足に陥ったり、競争環境や規制環境が変化したりすることもある。
玉にきずがないかどうか、つねに警戒するのが賢明である。
そのきずがなにかを知った時、ゲームで人より先んじたことになるのである。
私はポパーの科学的方法のモデルを金融市場で利用できるように発展させた。
私は自分の投資の基礎となる仮定を築き上げたかった。
その仮定は一般に受け入れられている常識と違っていなければならず、その違いが大きければ大きいほど、利益の潜在的可能性も大きかった。
違いがなければ、ポジション(売買持ち高)をとる意味がなかった。
これは科学の哲学者たちから大いに批判されたポパーの論点、すなわち検証が厳しければ厳しいほど、それに耐える仮説の価値はそれだけ大きくなる、という主張に対応する。
科学においては、仮説の価値はつかみどころがないが、金融市場においては、それがもたらす利益によって即座に計量することができる。
科学とは対照的に、金融に関する仮説は真理でなくても利益をもたらすことができる。
それが一般に受け入れられるようになるだけで十分なのである。
欠陥があっても、その欠陥がなんであるかを知っていた場合、一般に受け入れられるようになる可能性のある仮説に投資することを私が好んだのはこのためだった。
遅れずに売ることができたからである。
私はこの欠陥仮説を実りある虚偽と呼び、金融市場における成功だけでなく、私の歴史理論をもこれを中心に築いてきた。
私の作業仮説、すなわち人間の構築物はすべてつねに欠陥をもつという仮説は、非科学的であるばかりでなく、もっと急進的な欠点を備えている。
それはおそらく真理ではないだろう、ということである。
すべての構築物は時間の経過とともに欠陥を生ずる。
だがそれは構築された時点において不適切ないし無効だったことを意味しない。
私の作業仮説をさらに練って、真理であることをもっと強く主張できる形にすることは可能だと思う。
この目的のためには、私の相互作用性の理論に訴えなければならない。
相互作用的な過程では、参加者の思考も実際の事態の状況も影響を免れることはできない。
このため、たとえ過程の始まりの時点で決定または解釈が正しかったとしても、後の段階には不適切にならざるをえない。
人間の構築物はすべて欠陥をもつという主張には重大な但し書きを付けなければならない。
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